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【夜葬】 病の章 -23-

公開日: : ショート連載, 夜葬 病の章

 

-22-はこちら

 

夜の闇。

 

 

屋敷からひとり外に出された元は振り返った。

 

 

腰から伸びる縄。その縄を目で追うと、戸の隙間から微かな隙間があった。

 

 

――船坂たちはあそこから様子を窺っているのか?

 

 

元はふとそんな不安がよぎったが、なにかあれば縄を引いて助けてくれると言っていた。

 

 

だがそんな戯言を信用できるはずがない。

 

 

内心ではそんな風に元は思っていた。

 

 

なぜならば、船家夫婦を殺したのは亡霊でも妖怪でも、まして【地蔵還り】というとち狂った虚像でもない。

 

 

間違いなく人間。ただの殺人鬼だ。

 

 

そうあればいくら連中が縄を引いたところで間に合うはずがない。

 

 

敵がもし、あの角から突然現れ走って来られたら間違いなく自分は犠牲になる。

 

 

「馬鹿にしやがって」

 

 

だからといって大人しく死んでやる道理などない。

 

 

闇に目を凝らしながら、元は状況を打破する策を静かに練っていた。

 

 

夜の村は静かだった。

 

 

鈍振村に移り住んでから数年。

 

 

元もまた船頭を始めとした村人たちに「夜にひとりで外に出るな」と念を押されていた。

 

 

元自身も、わざわざ灯りの一つもない夜に外出する用事もなかったから、それを守っていたが、彼が思っていた以上にこの村の夜は暗い。

 

 

それを始めて知った。

 

 

目が慣れるのを待っていたが、なかなか景色は輪郭を表さなかった。

 

 

次に音。

 

 

風も吹かないこの日の夜は、木々の揺れる音すらも鳴らない。

 

 

獣の動く音も、虫の音も、なにもない無音。

 

 

じゃり、と自分の足が鳴らす地面の音にすら敏感になってしまうほどの静寂。

 

 

まるで元はこの世界に、ただ一人だけ取り残されたような気分に陥りそうになっていた。

 

 

――なにも起きんじゃないか。奴ら、いつまで俺をこうしておくつもりだ。

 

 

時間にしてどのくらい経つのか。

 

 

もはや元の体感時間はあてにならなくなっていた。

 

 

 

じゃり、

 

 

 

いちいち自分の足音に驚くのも情けないと、元はその音に負けじと自分も大袈裟に地面を蹴った。

 

 

ざっ、ざっ、と何度かそれを繰り返している最中に、ふと最初の『じゃり』という音が自分のものではなかったことに気付く。

 

 

 

じゃり、じゃり、

 

 

 

今度はさらにはっきりと聞こえた。

 

 

これは元の足音ではない、誰かのものだ。

 

 

喉が鳴り、生唾が胃に落ちてゆく。

 

 

ようやく少し慣れ始めた目を細め、慎重に周りを見渡した。

 

 

 

じゃり、じゃり、じゃり……

 

 

 

三度目の足音でおおよその方向を察した元が、そこに向かって目を凝らす。

 

 

炭の中に穴を開けたように、目を凝らさなければ分からないくらいの人影があった。

 

 

今、ここで縄を引くかどうか元は迷った。

 

 

距離としてはまだ離れている。それにおそらく、存在に気付いているのは元の方で、向こうは元に気付いていないと思われたからだ。

 

 

――ここで俺がはっきりとあいつの姿を確認してやれば、村の連中も【地蔵還り】だなんて言わなくなるだろう。そして、殺人鬼がうろついているここは危ないと説得しなければ。町へ降りて警察を……。

 

 

「元しゃあん、元しゃあん、元しゃあん」

 

 

その声と内容に、元の心臓は止まりそうになった。

 

 

あっちはこちらに気付いていない。そのことは確信していた。

 

 

ということは、あの人影の人物は元がここにいることを知らず、それを発したということになる。

 

 

それならば、知らせてやらなければ。

 

 

元がそのように思うのは、本能的なことだったのかもしれない。

 

 

「美郷! 俺だ、元だ! こっちだ!」

 

 

思わず叫んだその声に、人影の動きが止まった。

 

 

そして人影は明らかにこちらに気付いた様子だった。

 

 

「おい! なにやってる黒川! わざわざ教えるやつがあるか!」

 

 

戸の隙間から船坂の焦ったような声が元に投げられるが、元はそんなことにも構わずさらに続ける。

 

 

「こっちだ! こっちだ美郷! 今この村に危険人物がいるから、一緒にこっちで固まろう! みんなもいるぞ、鉄二もだ!」

 

 

美郷らしき影は、元の声に反応してずいずいとこちらに近づいてくる。

 

 

元は当初の恐怖など吹き飛び、美郷が無事にこの村に戻ってきたという喜びでいっぱいになった。

 

 

腰に巻いた縄が、くん、と何回か引っ張られる。

 

 

『戻ってこい』という合図だったが、元は美郷の手を掴むまでそこから離れる気はなかった。

 

 

「お義父さんお義母さんお義父さんお義母さんお義母さんお義母さん充郎さん副嗣副嗣てっちゃんてっちゃんてっちゃん元しゃんお義父さん副嗣」

 

 

「な、なんだ? どうした美郷!」

 

 

近づくにつれ聞こえてくる美郷の声。

 

 

デタラメに色んな人間の名前を繰り返している。だが、声は間違いなく美郷のものだ。

 

 

ここまでくれば元も違和感を感じていたが、それよりも美郷が心配だという気持ちのほうが上回っていた。

 

 

「いいから、早くこっちへ来い美郷!」

 

 

手を広げて美郷を受け入れる恰好をとった。

 

 

美郷は元のすぐ目の前まで来ており、うっすらと見えた顔はやはり美郷のものだった。

 

 

「こっちなら安心だか……うっ」

 

 

不意に腰に付けた縄がぐんっ、と引き寄せられ元はそれに逆らえず引きずられる。

 

 

「やめ、やめろぉ! 美郷がまだ……!」

 

 

じゃりっ、じゃりっ、じゃりっ、じゃりっ、じゃりっ!

 

 

テンポのいい足音は、美郷が走ってこちらを追っていることを知らせた。

 

 

「そうだ、美郷こっちにこい!」

 

 

「なにバカ言ってんだ! お前早く中へ入れ!」

 

 

「うるさい! そっちこそ何言ってんだ! 美郷だけ残して中へなんて入れるか!」

 

 

中へ入ることを拒む元を戸の隙間から強引に入れようとする船坂達。

 

 

じゃりっ、じゃりっ、じゃりっ、じゃりっ、じゃりっ!

 

 

『ドンッ!』

 

 

元を中に滑り込ませるのとほぼ同時。間一髪だった。

 

 

元を追ってきた美郷が戸に張り付き、隙間から元を睨んでいる。

 

 

「そこにいるんですか?」

 

 

「み、みさ……と……」

 

 

元を含む、その場にいた数人が誰も言葉を失い、美郷に釘付けになった。

 

 

「や、【夜葬】をはじめて。はじめて。【夜葬】」

 

 

隙間から覗く美郷の額には、三本鍬で貫かれた3つの穴。

 

 

そこからは赤黒い血が垂れ、時間が経っているからか垂れた筋のまま固まっている。

 

 

片方の目は半分飛び出しており、真っ赤だった。

 

 

そして、茶色と青を混ぜ合わせたような複雑な色に変色した肌。

 

 

それは美郷などではなく、誰かが作った美郷を模した泥人形のようだった。

 

 

 

-24-へつづく(2017/4/25更新予定)

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